2016 Roots

この写真は、誰の為のモノなのか

山形に来た十年前、ただただ美しい風景を前に、写真を撮りたくなっていった。そして、自分が住むということによって関わりをもった背景を知ったとき、見えてくる景色は変わったのだ。過去に思いをはせたり、これからのことを思って撮る写真は僕が伝えたいこと「そのもの」のような気がしていた。

そう、伝えたいこと。

美しいと感じて撮った僕の写真は、僕をはなれて、だれかに見せたい写真となっていった。

漠然と五十歳になったら、人を撮り始めようと考えていた。そんなときに、なっちゃんと出会ったのだ。彼女は魅力的で、記録写真と称しつつ、その内面を描きたいと思ったのだ。

自分の顔はみたくないと言う。
「顔なんて、その人の一部分にすぎないよ」と、思った。

後ろ姿をみればみるほど、その人らしさを感じるようになった。
「外見を撮ること」自体が目的じゃないんだと、思えて嬉しくもなった。

でも、この写真は、誰の為のモノなのか